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執事の話

ベトナム戦争に参加した無線兵の話

教会で、人間の尊厳について、ひどく心揺さぶられるお話を聞きましたので紹介します。
原題は特にありませんが、牧師先生から聞いたお話です。
Soldiers carry a wounded comrade through a swampy area, 1969.

「ベトナム戦争に参加した無線兵の話」

男は無線機を背負って、あちこちの戦場を駆け巡った。おびただしい数の砲弾が落ちる中、飛行機が墜落したり、大騒動の中、他の無線機は駄目になったときも、どういうわけか彼の無線機は無事で、軍の上層部から連絡が届いた。
「そこは何処だ。見た通りに報告しなさい。飛行機は落ちたのか?翼は折れたのか?銃は奪われたのか?車はどうなったのか?」
男は内心、腹を立てていた。
「一体どういうやつだ、現場のことも知らないで。」
そして、あるとき、飛行機が墜落した後、いつもの連絡がきた。
男はとうとう我慢ができずに無線機に向かって叫んだ。
「何を言っているんだ!人が怪我をしているかどうかは確かめずに、飛行機の翼が落ちたかを聞いてくるのか?
パイロットが怪我をしているかどうかは聞きもしないで、お前は同胞ではないのか?
わが国がいくら貧しくても、貧しければなおさら命の尊厳性を大事にしなければならないのではないか?
あなたは一体何様だ?この無線は間違ってかかってきているのではないか?スパイからではないのか?
あなたは全世界をもうけても代えることができないものが命だ、という聖書の言葉を読んだことがないのか?
そこらにあるありふれた教会にも通ったことがないのか?
クリスマスにお菓子をもらいにいくだけでもそういう話が聞けるのに、とんでもない!
飛行機が堕ちたかを聞くなんて。飛行機が堕ちたなら、一体どれだけ多くの人が死んだと思うのか!」
叫びだしていた。
湧き上がる思いを抑えることができなかった。
その時の声は自分のものではないように思えた。
「オーバー」
男の一方的な報告が終わると、息の声も聞こえないほど沈黙が続いた。
心がすっきりした。
男が普段から募らせていた思いを叫んだのだ。
軍隊では、銃をいくつ奪われたかで騒ぎになったりした。
人さえ死ななかったらいいのではないか、それくらいの銃は幾らでも造ればいいのではないか。こういうことが戦場で軍人が不平不満をもらす要因の一つだった。
軍の上層部の会議でその話が持ち上がった。
「どんなキチガイがそういう無線を送ったのか。」
実は指揮官本人がその無線を受けていた。
指揮官はそれまでバンカーの上に腰掛けてこうしなさい、ああしなさい、と指示するばかりだったのだ。戦場で、明日生きるか死ぬかわからない中、兵士達の中に入って直接見て、歩き回ったりすべきだったのに。
しかし、その出来事があってから、指揮官自ら作戦に直接参加するようになった。その後からは指揮官が介入し、作戦に失敗することはあまりなかった。
「真の牧者たちは羊たちの前に行き、もし死ぬことがあればまず先に死んで、国立墓地に行くべきだ。」
こういう立場で指導者達がなすべきことが多い。

物語は以上です。
ひどく心打たれる戦場のストーリーで、指導者のあるべき姿を教えていただきました。
実はこの無線兵は、若いころのうちの牧師先生の姿です。日ごろから胸に刻んでおきたいエピソードですね。
それでは今日のところはこのあたりで。
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