「人間はどこから来て、どこへ行くのか?」
これは人間の生きる目的を問う質問だ。
人間が作ったものには目的がある
- ペンは文字や絵を書く(描く)ために作ったし、
- コップは液体を注いで、飲むために生み出した。
- 電話は遠く離れている人と話すために発明したし、
- 飛行機は、空を飛んで移動するために開発された。
発明されたものは、その目的を超えて、幅広く活用されるようになるものもあるが
基本的には、何故それを作ったのか?理由がある。
つまり、「どこから来て」の理由がある。
時計は「時間を知る」ために人間が作ったものだ。
腕時計や柱時計、置き時計、懐中時計と、使われる場所は様々だが
どこまで行っても、その目的である「時間を知る」という機能は失わない。
その目的を失ったら、もはや時計とは言えないのだ。
物だけでなく、学問などにしても、やはり同じことが言える。
言語も相互にコミュニケーションするという目的があるし
経済学も、経世済民という言葉にあるように、世を治め人類の幸福に寄与することを目的として発展してきた。
何故、それが生み出され、現在存在するのか?
つまり「どこから来て」がわかるときに、
これから、それはどういう方向へ発展を遂げていくのか?
つまり「どこへ行くのか」のかじ取りが見えてくる。
しかし、人間が作っていないものについてはどうだろうか?
神が創ったものの目的は神のみぞ知る
人間は岩や木や水や空気、はたまた生命のある存在を創れない。
あえてあげるとすれば、人間が生み出すことができるのは人間の赤ちゃんだけだ。
神は何故、生物を、動物を、そして人間を創造したのだろうか?
はっきり言うと神が人間を創造した目的は、神の言葉を聞かなければ、人間にはわからない。しかし幸いなことに、私達には神の言葉を聞く方法がある。
この世に唯一、神の言葉を収めた書物があるのを知っているだろうか?
そう、The Bookこと「聖書」だ。
この地上で、最も発行された書物、最も翻訳された書物だ。
つまり誰でも、神の言葉を読むチャンスは与えられているのだ。
そしてその中にこそ、人間が生きる目的が収められている。
しかし、残念なことだが、日本で聖書をちゃんと読んだことがある人に会うのは稀だ。
分量が多く、また難解なことにも原因があるだろう。
今の情報社会の中、人々はもっとすぐ読める、核心だけを説明した短い記事が欲しいのだ。しかし、今日の新聞記事は、明日にはゴミ箱に捨てられているように人々の心に長くとどまるものではない。
しかし神の言葉は決してそうではない。
もしあなたが、人間の生きる目的を知りたいのなら、神の言葉を読むことに挑戦することを薦める。
読み方が分からないなら、教会を訪ねてみればいい。
それでもわからないなら、わかるように教えてくれる人を探す必要がある。
生きる目的にたどり着けるなら、それくらいの努力は惜しくないだろう。
そして、その答えにたどり着いたとき、今までと違う毎日があなたの前に姿を現す。
孤児がその親を見つけた時のような喜びをもって、あなたの人生に大きな感動と息吹とが吹き込まれるようになるでしょう。