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キリスト教

「イエス・キリスト」感動の名言

キリスト教の名言は紹介していましたが、その祖となるイエス・キリストの名言を紹介していなかったので、改めて私の好きなシーンのものを抜粋して紹介します。
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(画像引用元:キリスト教福音宣教会)

自分を低くする者が、
天国でいちばん偉いのである

マタイによる福音書
18:1 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
18:2 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
18:3 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
18:4 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。

高慢では天国には入れません。これ以外にも、類似の名言も多くあります。

20:26「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。

あすのことを思いわずらうな。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である

マタイによる福音書
6:25 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
6:27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
6:28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
6:29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
6:34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

実際のところ、イエス・キリストとその弟子たちは、その日の食事にも窮することがあったことがほかの聖句からも伺えます。現代の私たちも、お金がないことであまりに心配することが多いですが、必ず神が養ってくださるという強い信仰のもと明日のことを心配せずに生きられるといいですね。

あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである

ヨハネによる福音書
13:4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、
13:5 それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。
13:6 こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。
13:7 イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。
13:8 ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。
13:9 シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。
13:10 イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。
13:11 イエスは自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みんながきれいなのではない」と言われたのである。
13:12 こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。
13:13 あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。
13:14 しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである
13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。

人は体をいくらきれいにしても、歩いて活動する限り、足は汚れるのです。
そのように、どんなに罪を犯さないように気をつけて生活しても、かならず汚れは出てきます。
だから、それらを裁きあうのではなく、許しつつ訓戒していく姿勢が大事なことだと思います。

あなたがたの中で罪のない者が、
まずこの女に石を投げつけるがよい

ヨハネによる福音書
8:1 イエスはオリブ山に行かれた。
8:2 朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。
8:3 すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
8:4 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
8:5 モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
8:6 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
8:7 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
8:8 そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
8:9 これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
8:10 そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
8:11 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。

結局、罪のないものはいませんでした。
キリストが地面に何を書いていたかは不明ですが、一説によるとこの場にいた人たちの生まれたときから今までの罪を書いていたとも言われます。
それを見て、恐ろしくなって皆、その場を立ち去ったとか。

彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです

ルカによる福音書
23:34 そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。

有名どころですが、最後に、自分の命を奪おうとしている人たちのために許しの祈りをした十字架の上でのシーンです。
ここにいたるまでの苦悩も大変なものだったことが、この前日の夜のゲッセマネの祈りのシーンで伺えます。

22:42 「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。
22:43 そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。
22:44 イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。

自分の命が奪われようとしているのですから、誰だって避けたいはずです。
それでもキリストは自分の命と引き換えにでも、その使命を全うしたのでした。

個人的に好きなシーン

ルカによる福音書
23:1 群衆はみな立ちあがって、イエスをピラトのところへ連れて行った。
23:2 そして訴え出て言った、「わたしたちは、この人が国民を惑わし、貢をカイザルに納めることを禁じ、また自分こそ王なるキリストだと、となえているところを目撃しました」。
23:3 ピラトはイエスに尋ねた、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」とお答えになった。

ちょっと名言というわけではないかもしれませんが、イエスが法廷に立たされたときのことです。言葉巧みに貶めようとする輩に引っ張られ、提督ピラトに問われたとき、不利になるのは当然わかっていましたが果敢に答えたその姿勢に感動します。
死ぬことも恐れない覚悟が伝わってくるシーンです。

とりあえず、今回はこのあたりで。
他にもたくさん素晴らしい名言がありますので、気になる方は、早速聖書を読んでみましょう。(今や無料アプリでも読めますが、私はあえて皮の本格派です。)
小型聖書 口語訳 (革)

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