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キリスト教 執事の話

教師のための「コリント人第一の手紙13章」

前回紹介した親のためのに引き続き、教師のためのバージョンです。
いろんなアレンジがあるようですが、こちらも感じ入るものがありましたので紹介します。
Examen

教師のための「コリント人第一の手紙13章」

たとえ、私が生徒たちに全てを完璧に教えられるとしても
彼ら一人一人を愛していなければ、
誰もいない教室に向かって叫んだ方がましだ。
たとえ、私が全ての教育の問題を解決できるとても
もし愛がなければ、私の努力は無益だ。
たとえ、私があらゆる教材を買うことができ、そのために犠牲を払ったとしても、愛がなければ、一切は無駄である。
愛は、難しいと感じている生徒たちに何度でも繰り返し教えてあげる忍耐であり、
愛は、他の教師や私に向けられる怒った親の訴えや避難を受けとめる寛容さである。
愛は、他の教師が、行儀がよく、賢い生徒たちばかりのクラスを受け持ち、私がそうでないときに、妬んだりしない。
愛は、自分の生徒が非常に良くなり、自分の授業に心から出席したいと思っていることを、誇ったり、自慢したりしない。
愛は、他の人のために必要に応じて、すすんで自分のスケジュールや計画を譲歩する。
愛は、生徒たちが過ちを犯したとき、怒鳴りちらさないで、彼らが自制の大切さについてわかるように働きかける。
愛は、全ての生徒達の問題や間違った行いをロビーにいる人達に広めたりしない。
愛は、たとえ生徒が割り算や副詞と形容詞の違いを理解できなくても、決してあきらめない。
教育法や、掲示板、教科書、そうコンピュータでさえも、いつかは廃れていく。
しかし、愛は永遠に続く。
我慢、忍耐、そして愛
私が教育を通じて学んだこれら3つのうちで
最も大きなものは、愛である。
作者:Ron Nuzzi
翻訳:Keiji


原文はこちらです。

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