最近、個人的に感じていたことを、同じように考えている人がいるのだと知って書きたくなった。(このタイトル自体はクリックされやすいかもしれない・・・)
元ネタはSEO Japanさんで紹介された記事ですが
少し抜粋して引用すると
私は、数字の入ったタイトルやハウツー記事を書いたことがあっただろうか?
もちろん。ちょうど昨日書いた。
しかしながら、それらは、私に汚いと感じさせ始めている。
私はそれをしたことを後悔している。
それをしたことのある私のようなライターは、自分たちがしていることも正確に知っている。
それは読者を獲得するための巧妙な操作なのだ。
もしも目的がトラフィックと大量の訪問者数ならば、
消化されやすい華やかで賢い小さな記事に仕立て上げることがそれを美しく成し遂げる。
そのようなコンテンツの中には本当に賢いものもある。
しかし、全てではない。くだらないものが、フォーマットのみに基づいた良いものとほぼ区別がつかないのだ。
私たちは、注意持続時間がこれまでになく低く、情報が溢れていて、人々は大きな情報の塊を処理することができないと言うことによって、“消費し易い”コンテンツの価値を後押しする。
リスト記事が読者にとって読みやすいのは周知の事実だし、多くの人が「○○できる7つの○○」などのタイトルを多用している。
勿論、中にはとても秀逸な記事もあるのだが、大半の記事は残念ながら非常につまらない。それでも読者がクリックするのは、それらは一つのチェックリストであり、自分がそれを実施しているかどうかを確認させたがるからだ。
リスト記事の事例だけでなく、アクセス数の多い記事に見られるタイトルを研究したことがあれば、誰でもある種の法則がわかってくる。
また本文の構成も見えてくるものだ。しかし、それは逆に言えば、ブロガーが記事を書く上で一つの束縛になる。
つまりアクセスされるためのタイトルや記事という制限によって、面白みのない、パターンの予想が出来る似通った記事になってしまうのだ。
はてブの人気エントリーをいつくつかフォローしてみたが、一日で飽きて、アンフォローした。
どれもこれも似通っていて、とても退屈だった。
それでも同じような記事が書かれ続けるのは、人々がそれをクリックするからだ。
個人的に同感したのは
むしろ私は、リストにざっと目を通して少しずつ物事を吸収することを期待し、
優れたコンテンツを書いたり、影響力を持ったり、本を書いたり、ビジネスを始めたり、
成功を見つけたりするのに必要な全てのショートカットが自分たちにはあると信じている大勢の人よりも、
その情報を読むことや議論に時間を割くことに本当に関心のある6人が記事を読むほうが良い。
というくだりだ。
自分らしく書き続けていれば、いつか本当に交流すべき人と出会う筈だ。
目先のアクセスアップに踊らされず、つまらない法則に縛られないで
自分なりにストーリーを伝える力を磨いていくことだ。
「思わずクリックさせるタイトルをあえて使わない勇気」
それが出来るようになったとき、はじめて私たちは自分らしい、味のある記事が書けるのかもしれない。
[ad]