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執事の話

ホームレスの教訓

久しぶりの「執事の話」です。Facebookで応援メッセージをいただき、月一くらいは更新しようかと、奮い立ってみました。
今日のお話は「The Lesson of the Homeless Manというものになります。日本語では「ホームレスの教訓」としています。
Martin Luther King Library

「ホームレスの教訓」

その日は寒い冬の日曜日だった。教会の駐車場はすぐに一杯になった。
私は車からでたとき、若い教会のメンバーが教会に歩きながら耳打ちしてしているのに気付いた。
近づいてみると、教会の外の壁によりかかっている男を見た。彼はあたかも眠っているように横になっていた。
彼はズタボロの長いトレンチコードを着て、顔が見えないように帽子を下げてかぶっていた。
彼は30年は履いてるような靴を身に着け、彼の足には小さすぎて、あちこちに穴が開き、爪もはみ出ていた。
私は、この男はホームレスで、そして寝ているのだと思い、教会の扉へと歩いて行った。
私たちは皆、しばらくの間、友好を温め、誰かが外で横たわっている男の話を持ち出した。
人々はクスクスと笑い、おしゃべりをしたが、私を含めて誰一人、彼に入ってくるようには言わなかった。
しばらくして、礼拝が始まり、私たちは皆、演題を用意して説教者を待っていた。教会の扉が開いたとき、
ホームレスの男が下を向いて通路を歩いてきた。
人々ははっと息をのんで、ささやき、顔をしかめた。
彼は通路を進み、説教台へと上がり、帽子とコートを抜いだ。
私は愕然とした。
そこには私たちの牧師が立っていた。彼こそが、あのホームレスだったのだ。
誰も言葉が出なかった。
牧師は聖書をとり、台に置いた。
皆さん、今日私が何について説教しようとしているか言う必要はないですよね。
もし、あなたがたが人々のこと見た目で判断するなら、その人を愛することなど出来ないのです。
作者不明

はい、いかがだったでしょうか。教訓としては当たり前のお話ですが、なかなか現実社会で、それを実践する人はいないですよね。
うちの牧師先生も若いころはホームレスのお世話をしてあげてた時期があったそうです。
しかし真に救いが必要なのは、神を知らずにさまよっている魂のホームレスたちで、神の御言葉こそが、唯一の手段であると私も叫び続けていきたいものです。
以上、なんとか月一は更新していきたいと思いますので、今後とも応援よろしくお願いいたします。
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