先日、興味深い記事を読みました。
センバツ高校野球で話題になった済美の安楽投手への取材についてです。
なんとなく思うところがあったので、つれづれに書いてみます。
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日本経済新聞
済美・安楽の772球 米国人から見た高校野球(下)
スポーツライター 丹羽政善
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この中で、米国人記者の以下のフレーズが目に留まりました。
「彼が将来、メジャーに行くとき、100億円の値がつくかもしれない。
それを考えて彼を守れ、という考えも分かる。
しかし彼は、彼のためではなく、
家族のため、チームメートのため、
学校のため、地域のため、県のために投げている。
彼は、お金では計れないもののために、体を張っている。
それはある意味、我々が失った美しさだ。
今、米国の高校野球界はドラフトで指名されること、
大学で奨学金をもらうことがプレーする目的になっているから」
これは大変興味深い見解でした。
特にアメリカの高校野球が何か面白みがない感じを受けました。
それはシリコンバレーにおけるスタートアップに似ている気もしました。
始める前から、いかに収益化するかを考える。そして大金で会社ごとうりさばくことを目的に商品開発する。
お金を得ることだけを目的にしてしまうことの一つの終着点ともいえます。
自分がどんなサービスを提供して人々を喜ばせたいのか?
何で人々に興奮を与えたいのか?
どんな方法で人々の困ったを助けてあげたいのか?
そういうお金では計れないモチベーションがあってこそ、
真に面白いものが生れるのではないかと思うのです。
経済の観点が入らない世界の中で、純粋に力をぶつけ合い、自分を試すこと。また郷土の期待を背負って代表として闘うこと。
そういうのってある意味、学生時代にしか味わえない醍醐味だと思います。
大人になるということは、いかに生計を立てるかを考えることだともいえます。
それがいつしか私たちの考えを制限することもあるのですが、そういう縛りのない世界で自分がどんなことをしていきたいのかゆっくり考えることって大事なことではないかと思います。
人間は生きて、死ぬまでの間、食べていくだけのお金があれば、いいのではないか?と、わりきってみれば、いろいろと捨てられないでいるものから自由になれるかもしれません。
どんなに巨額の富を蓄えたところで、自分では使いきれないうちに、死んで誰かに譲っていくことになるのです。
WEBサイトを製作するとき、初めから広告ありきのデザインでPVを狙って作ることがあります。
収益化という制限が、ユーザーエクスペリエンスをいきなり下げてしまうことがあります。
まずは一人でも喜んでくれる読者やユーザーがいるものにすることが大事なのではないかと思います。
収益化は後からでもいいのです。
ユーザーがいるなら、サービス維持のために収益化は必要なのであって、Facebookも途中から広告を導入し、見事に収益化に成功しているのです。
ユーザーがいないもの作っても意味がありません。
まずは自分が面白いと思うものを作る事。そこが全ての始まりで、人々がそれを同様に面白いと感じてくれるものなら、途中で広告いれても人々は使ってくれるのだと思います。
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