分水嶺って言葉、意味を調べるとこんな感じです。
1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。
2 雨水が異なる水系に分かれる場所であることから、物事の方向性が決まる分かれ目のたとえ
-コトバンク-
興味の分水嶺って聞いてすぐわかる人はいないと思いますが、
最近の自分自身の心境を表わすのにバッチリな言葉なので、そう表現してみました。
[ad#adtop]
人間、誰でも興味があることには、誰が何を言わなくても、勝手に取り組んでいきますよね。
そして、その道をどんどん突き進めていけばいいと思います。
さて、進んでいけばいくほどに、どこまでその道をいくのだろう?
という疑問を感じ始めることってあると思います。
一例をあげると、
英語の学習に興味がある人って多いと思うのですが、
そうかといって、皆が皆、同じ水準を目指しているわけではないと思います。
海外旅行で用を足せればそれでいいと思う人もいれば、仕事で使う人、通訳を目指す人、はたまた言語学者を目指す人
同じ方向を向いて歩んでいても、その最終目的地って違いますよね。そしてそれに応じて頑張り具合も変わってきます。
何が言いたいかというと
興味がある事に皆、取り組むのですが、その興味って同じレベルではないということです。
私もWEBの勉強を自粛していく事にしたのは、実は、そこにあります。
以前は、
自分でサーバー借りて、HPやブログを作成してみたいとか、
CSSやJSの様々な表現力を磨いて、訪問者を満足させたいとか、
たくさんのトラフィックを集めて収益化したいとか、
自分にとって未知なる領域の実践勉強として、興味をもってとりくんでいました。
しかし、3年も取り組んでいると、同じモチベーションではなくなります。
上にあげたことって、ある程度自分としては満足いくレベルまでたどり着いたのです。
その興味は、一体どこまで続くのか?
が、自分にとって、そのフィールドが天職かどうかの境目、つまり分水嶺だと思うのです。
最近、運営サイト数も限定しましたし、特別に何かWEBの技能を身に着けようという勉強や実践も行っていません。
行進も月に数回あるかどうかくらいの頻度で、本来のブログのありかたである、ログ(履歴)を残すという運用になってきました。
いまだにトラフィックは上昇続けていますが、今の更新頻度なら、いずれは落ち着いてくると思います。
iPhoneとWordpressがもたらしたWEBの生活から離れ、もっと現実の仕事や生活にフォーカスしたい。そんな気になっている今日この頃です。
[ad]
カテゴリー